2021年の節分は2月2日だということを当日に知った、ちぃぼーです。
2月2日に節分だったのは、124年ぶりのことらしいですね。
我が家では、節分といえば2月3日=私の誕生日でした。
タイトルにも書いてあるので、もうお分かりでしょうが…
私、2021年2月3日に3☆歳になりましたーっ!
おめでとうございます〜。
パチパチパチパチ〜
そして、誕生日当日にTwitterでこのようなツイートをしました。
そしたらね、名前も顔も体型も知らない3☆歳の私に、たくさんの方がお祝いのメッセージをくれたり、いいねをしてくれたのです。
…体型とかいるんか?
本当に嬉しかったです♡
みんなーっ!ありがちぃぼー!!←意味不明
今でこそ母さんに感謝していますが、幼少期は反抗したり色々ありました。
今思えば、母の愛が欲しくてたまらんかったのでしょうね~。
今日は、ブログを始めて初の誕生日を迎えたということで、少し昔話でもしてみようかと思います。
お時間ありましたら、最後までお付き合い下さいな♡
お時間なくてもサクサクッと読めると思うので、せっかくだから最後まで読んで欲しいな♡
それでは読んでみよう♪レッツゴーゴー!
ちぃぼー生まれる
198☆年2月3日、2700グラムの可愛い女の子が生まれる。
自分で可愛いって言うな!なんて声も聞こえてきそうですが、そこは華麗にスルーして…
このとき母は、何と19歳。
父は23歳。
私の同年齢の人に両親の年を言うと、若っ!って驚かれることも多いです。
母は高校生のときに私を妊娠して、中絶できなくなるまで親にも隠して学校に通っていたそうです。
お腹が大きくなると周りにも気付かれ、最終的には中退することに。
ドラマみたいでしょ。
こうして、妊娠、結婚、出産した私の母は、親元から離れて家族3人で暮らし始めます。
母に、私の赤ちゃんの頃のことを聞くと、「育てるのに必死で可愛いとか思う余裕がなかった」と言います。
そんなこと言いながら、写真を見るとそこは愛で溢れてるんですけどね♡
ほらね♡
こうしてちぃぼーは、それなりに親の愛をもらいながら、それなりに育っていきました。
ちぃぼーの学校生活
小学校生活
小学1〜3年生は、至って普通の学校生活を送っていたかな(正直、記憶があまりない)
でも、4年~5年生くらいまでは、いじめで学校を欠席することも多かった記憶があります。
筆記用具がなくなったり、帰ろうとしたら靴がなかったり、私が存在していないかのように無視されたり。
いじめもつらかったけど、この頃にもうひとつ嫌だったのが「叔母さん」の存在でした。
実は、私には同年齢の叔母さんがいます。
ん??と、思った人もいるはず。
そうです。 私の祖母が、母と同じ時に子を生んでいるのです。
ばあさんスゲー
叔母さんに嫉妬
祖母は、小学3年生の頃に突然いなくなり(ちなみに生きてます)、母は叔母さんをよく家に連れてきていました。
5人兄弟の長女ということもあり、母親が突然いなくなってしまった年の離れた妹のことが心配で仕方なかったのでしょうね。
今となればそんな風に思えますが、当時の私は、私のお母さんなのに同じように可愛がられている叔母さんに対して、嫉妬心をメラメラに燃やしていました。
「もう来ないで」などと嫌がらせの手紙を書いて、母にバレないように渡してたっけ。
母は叔母さんのことが可愛くて、自分は愛されていない。
学校に行っても友達がいない。
自分がいなくなったら誰か心配してくれるかな…って本気で思ったことが何度もありました。
でも結局、自ら命を絶てるはずもなく月日は流れ、6年生後半には何故かいじめもなくなり、いよいよ中学生に。
中学、高校生活
中学、高校生活は特に変わったこともなく、勉強が苦手で、好きな男の子にドキドキしたりと普通に学校生活を送っていたかな。
料理クラブに合唱部。
職場体験学習授業では保育士を選んだりと、今思えば昔から好きなことを選んでやってきてたのかも。
専門学校生活
私が小学6年生のときに弟が生まれました。
弟の誕生がきっかけで、私の将来の夢は【保育士】になったのだと思います。
保育士を目指し、専門学校に入学。
専門学校は、学校生活の中で一番楽しかったかな。
素敵な友達に恵まれていました。
社会人生活
専門学校を無事卒業し、幼稚園教諭と保育士免許をゲットした私は、幼稚園に一年務めた後、保育園に9年務めました。
実家で甘えて過ごし、自分が働いて稼いだお金を自由に使いまくり、それはそれは楽しい社会人生活を過ごしていましたね。
運命の出会い
それは夫との出会い。
私の人生の中で一番幸せな出会いですな。
夫と出会ってなかったら子供達にも会えてないからね。
ちなみに、夫は一目惚れだったようです。はっはっはっはっ!
数年間お付き合いを経て結婚。そして妊娠、出産をして今の私がおります。
今だから思うこと
結婚生活や子育ては、楽しいけど、楽しいだけじゃない。
若くして私を生んで、頼れる人もいない中で子育てをしていた母は本当に大変だったと思います。
母ばかり登場していますが、もちろん父の存在も大きいです。
身長が182センチある、優しくてかっこいい自慢の父。
2人でよく映画に行ったりもしてたな。
父が真面目に働いていたから、生活ができて学校にも通えました。
改めて両親には感謝ですね。
3☆歳になった今も、お年玉や誕生日にお祝い金をもらったりと、いつまでも子供みたいな私ですが、周りの人達への感謝の気持ちを忘れず、これからも毎日を大切に過ごしていきたいな♡
ということで、今回の私の昔話は終わりたいと思います。
ここまで読んでくれたあなたは、なんて優しい人なの。
最後まで読んでくださりありがとうございました♡
おしまい♡
にほんブログ村